理解するということ
息子の学校に新入生が入学してきたので、
今週一週間は新入生の親御さんのためのオリエンテーションが毎日開かれている。
午前中空いた時間があったので今日は私も参加してきた。
昨日から3日間の講座のテーマは「シュタイナー教育入門」。
シュタイナー教育では、一人の子供を他の子供と比べることをしない。
「人間は一人ひとり、違う才能、違う身体を持ち、違う目的を持ってこの世に生まれてくる」という考えが背後にあるからだ。
子どもがどんな気質、どんな力を持っているかを客観的に観察し、理解すること。
周りにいる大人(教師や親)に求められるのは、そういうことであって、
何かをやたら教え込んだり、押し付けたりすることではない。
この考え方に出会った時、「教育とは何?」というとても基本的なところを、
ものすごい力で揺さぶられた。
そして、そういう目で見ていると、子供ひとりひとりがホントに
まったく違う個性を持っていることを実感する。
今日の講座では、それぞれの気質の違いは、子供がお腹にいる時から
実は顕著なのだという話になり、子供が生まれた時の話を隣に座っている人と共有した。
思い出してみれば、本当だ。
猪突猛進系の我が子は、生まれてくる時にも、超スピードだった。
私は高齢初産だったにもかかわらず、分娩時間はわずか2時間。
彼は猛ダッシュで出てきたのだ。
は〜っ、今の彼の姿にぴったり重なる。
隣に座っていた方のお嬢さんは、お医者さんの時間が限られる中、
ベテランのお医者さんの手を十分借りて、
やっぱり短めの時間で出てきたそうだ。
その話を聞いて、彼女を知っている私は「あ、彼女らしい」と思った。
しっかりした人の手を借りて、良い道を進んで行くタイプに見えるのだ。
隣の方も「うん、そうだね、あの子らしいね」と。
なんだか面白くて、全員の話を聞きたくなってしまった。
あちこちに散りばめられたヒントを集めながら、
この子はどんな子なのだろう、何をするために生まれてきたのだろう
と、考えながら子どもと向き合う。まるでパズルだ。
そうやって理解する(しようとする)ことが、愛なのだと教えられた。
理解することは忍耐だと感じていた、ここ最近の私。
子どもに対して、もう少し客観的になれたらいいな、と思う。
そしたら忍耐が大きな愛に変わるのではないかな。
わかっているのだから、頑張れ、自分!
・・という感じです。
何れにしても、忘れかけていた出産の時のことが
子供を理解するヒントになるということを思い出し、
もう一度、振り返ってみようと思ったのでした。
(写真は生後数日の頃の我が子。よく泣きました)
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