てばなすということ
先日のこと。
友人の家を訪問した。
二人分のお弁当持参して
一緒に食べながら、話をしたかった。
彼女のことを少し心配していた。
彼女は外国人。日本人のご主人と二人のお子さんがいる。
まだ中学生の長男が、自分の生まれた国(彼女の祖国)に一人で戻ることになった。
寄宿舎に入り、宗教を真剣に学びたいという彼の強い希望からだ。
彼女は子どもと離れて暮らすのは絶対に嫌だと言っていたし、
そもそも宗教に全く熱心ではない彼女のなのに、
息子がどうしてそうなったのかと、このところずっと悩んでいた。
けれども、結局、彼は親元を離れることになった。
つい1年くらい前まで、うちの息子とも遊んでくれてた。
カブトムシやクワガタが好きでたくさん飼っていた。
半年くらい前、もう興味なくなったからと昆虫図鑑や標本をどっさりくれた。
父親と母親の両方のDNAをまとって生まれてきた彼ら兄弟は
両方の文化に出会い、そしていろんな事を感じ、考えながら
これから個となっていくのだろう。
小さい頃に離れた母親の母国の文化や宗教に、彼は自分の種を見つけたのだろう。
まだまだあどけない彼の内側では、ものすごい大きな変化が起きている。
そして、それは彼が「彼」になっていく大事なプロセスなのだ。
子どもの人生は親のものではない。
彼の道を進んでいくのは、彼しかいなく、
親はその道を、彼が進んでいけるように
障害物を取り除くだけだ。
・・というのは、私がシュタイナー教育を通じて
学んできたこと。
けれど、そんな事を全て分かった上で、
同じことが私に起きた時、私は息子をてばなすことができるだろうか?
今回、何度も自問した。
ご主人は彼に言った。
同じことに共感できなくても、生き方が違っても僕らは家族だ。
君はこれから歩んでいきたい道を自分で見つけ、その道を進もうとしている。
でももし気が変わったり、やってみたけどやはり違うと思ったら、
いつでも戻っておいで。
と。
長いプロセスの中で、悩み、悲しみ、憤りを感じることもあっただろう。
そんな中で、最終的に子どもの生きていく力を信頼し、
彼自身の進む道を尊重することにした
彼女とご主人の決断をリスペクトする。
彼女はというと、寂しいけれども、息子さんとは毎日電話をしていて
気持ちは少し落ち着いたようだった。
私が驚き、少し嬉しくなってしまったのは、
彼女自身が新しい人生の一歩を既に歩み出そうとしているのを
感じたことだ。
寂しいはずなのに、表情も変わり、なんだか内側にとても強い芯ができたような
そんな凛としたものを感じることができた。
同じ母として、女として、それが、なんだかとても嬉しかった。
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