つながっているイノチ
「なぜドゥーラになったのか?」
という、とても基本的なことを人に説明するのに
ちゃんと説明しなくちゃ、と思っているのだけど、
このところ、
「○×○× だから、ドゥーラになりました!」
という説明に、とても違和感を覚えるようになった。。
それだけこの活動は私の人生にとって、意味深く、
導かれるようにして、私はここにたどり着いたのだという感触を
持つようになったからだ。
タイミング的には、母が亡くなり、私たちが長いあいだかけて
紡いできた今回の物語の最後のページに
「THE END」
という文字を書いた途端、新しい物語が始まり、
わけもわからず、その物語を書き続けていくと
「え、なに、これ、この前の続編じゃん!」
と、気づくような感じなのだ。
なんと半世紀にもなってしまった、これまでの私の人生では
たくさんのことが起き、私はたくさんの人に出会った。
自分でも忘れているけれど、蒔かれた種は確実にあり、
そこに水が与えられ、ようやく芽が出て育ちはじめた、
そんな日々を、私はいま過ごしている。
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息子が小さなとき、おばあちゃん先生から教えてもらった、
たくさんのわらべうたを、いま私は赤ちゃんたちに歌っている。
赤ちゃんはキャッキャッと言って、本当に楽しそうに笑う。
「かわいいね〜」
と、まだ話せない赤ちゃんと対話していると、
なんだか心が通じ合っている感じがしてきて、
嬉しくなってくる。
ふと、不思議な感覚がよみがえる。
ぼんやりと、本当にうっすらとだけれども
私は、この感じを覚えている。
このなんとも言えない嬉しい感じ。。。
暖かく、ほんわかした雰囲気。
私の前にいるのは、母かもしれないし、おばあちゃんかも。
はたまた親戚のおばさんとか、知り合いのおばさんかもしれない。
顔はぼんやりしていて見えないけれど、
その人の前で、ちいさな、ちいさな私は可愛がられている。
とても大事にしてもらっている。そんな場面をうっすらと思い出す。
そして、それを確認しながら、目の前の赤ちゃんを見ると
なんだかものすごい幸福感に包まれて、涙が出そうになる。
イノチはつながっている。
私の中には、たくさんの人のカケラが入っている。
きっと私が忘れてしまったかもしれない近所のおばちゃんや、
友達のお母さん、他にもたくさん、たくさんいる、私が出会った人たち
。。。彼らの小さな愛も私の中にはきっと残っている。
たくさんの人のカケラなしでは、私は私ではないのだ。
それでは、いま私が日々していることは?
考えると、背筋がのびる思いだ。
いろいろな思いを巡らせながら、赤ちゃんの目を覗き込むと、
わかっているのか、いないのか、少しだけ不思議な顔をした後、
私がまた歌うと、キャッキャと声をあげて笑う。
イノチはつながっている。
ドゥーラの仕事が、それを私に教えてくれた。
きっと忘れられてしまうだろうけれど、
大切な大切な時間を共にさせていただいている
。。。そのことを決して忘れないように、これからの活動を続けていこうと思う。
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